2016年11月22日

ジョン万次郎のあゆんだ歴史を

11/20、農村環境改善センターにて 開国を導いた男、NPO法人ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会主催、ジョン万次郎。その功績をたどる。 シンポジウムが行われました。

ジョン万次郎のあゆんだ歴史を ジョン万次郎のあゆんだ歴史を

第1部の基調講演では、北代淳二さん(国際ジャーナリスト・ジョン万次郎研究家)による「万次郎と咸臨丸 - 秘められた歴史貢献」が行われました。
ジョン万次郎は、高知県土佐清水市に中濱萬次郎として生まれました。
14歳の頃、漁に出て嵐に遭い、漂着した無人島でアメリカの捕鯨船に救助され、その後、日本人で初めてアメリカ本土に渡った人物です。
その後アメリカで多くの知識を得、捕鯨船員として生活した後、帰国を決意。
24歳のとき、日本に上陸した地が糸満市の大度海岸だったのです。
基調講演では、1851年にジョン万次郎が日本に上陸してから、1860年に咸臨丸という捕鯨艦を完成させサンフランシスコへ向かった話をされました。
1960年で残されていた歴史が大きく変わったという話から、1時間の講演会の最後に、北代さんは「彼が果たした活躍についてしっかりと知ってほしい」と、話をまとめました。

ジョン万次郎のあゆんだ歴史を

第2部パネルディスカッションでは、講演を行った北代淳二さんをコーディネーターに、パネリストは上原昭さん(糸満市長)、神谷良昌さん(糸満市教育委員会総務部長)、長田亮一さん(ジョン万次郎研究家)、當間嗣吉さん(ジョン万次郎研究家)が着席しました。
當間さんは「バジルホールとジョン万次郎との関係性」
神谷さんは「ジョン万次郎は何故琉球へ行ったのか」
長田さんは「豊見城滞在中のジョン万次郎について」
上原さんは「糸満市から見たジョン万次郎」
それぞれの経験、立場、知識からパワーポイントでまとめてお話をされました。

日本開国の時代に活躍したジョン万次郎の功績は、生まれた高知県や沖縄滞在中に住んでいた高安家のある豊見城市、アメリカでも記念碑や記念館などが建てられているそうです。
「日本上陸の地として、糸満市大度海岸に記念碑を建てたい」
その思いでNPO法人ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会の皆さんは今まで活動をされてきました。
本日のシンポジウムを聞き、その思いをより強く感じました。
@かわさき


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Posted by まちセン*糸満市市民活動支援センター at 09:00│Comments(0)学術・文化・芸術・スポーツ
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